はいどうもこんにちは、ミギーです!
今回紹介する映画は【カランコエの花】
一言でいいますね。
とても良い映画です。
本作のテーマはLGBTQ。
(ミギーの映画ブログではLGBTQまで入れた表現をします。)※LGBTQ=レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアまたはクエスチョニング
何が良い映画なのかと言うと、
LGBTQを当事者ではなく、
周囲から描いている点が特徴的です。
LGBTQテーマの作品は多くあります。
話題作の一部を出しますと、
『リリーのすべて』『アデル、ブルーは熱い色』
『キャロル』『チョコレートドーナツ』
『彼らが本気で編むときは』などなど
どれも名作で好きな作品です。
しかしこれらの映画は社会的な理不尽や、
心の葛藤、周囲との関係性など
すべて当事者に焦点が当たり描かれています。
『カランコエの花』はある高校生2年生のクラスで、
「LGBTがこのクラスにいるのでは?」
という好奇の目線から、
LGTB本人ではなく、
周囲から描いているところの
切り口に意欲を感じます。
登場人物は高校2年生ですが、
LGBTQに対する好奇の目線
そのものの稚拙さや幼稚さは、
大人になってもさほど変わらないのではないか
と思います。
むしろ、大人になったはずの人達の方が、
高校生の抱く安直な感情以上に
面倒で厄介な人が多いのではと感じられるほど、
LGBTに対する各人の感情がストレートに表現されており、
嫌悪感と歯がゆさを感じる構成になっています。
物語のあらすじと考察を書いていきます。
ネタバレありますので、ご注意ください。
カランコエの花、ネタバレとあらすじ
端的にいいますと、
1人の女子生徒が、
同級生の女子を好きになった、
恋の話です。
仲良し4人組の女の子がいました。
みんなで学校生活を送っていたある日、
保健室の先生がLGBTの話をしはじめました。
黒板に大きく”LGBT”と書かれ始まった話は、
そのクラスでしかされていないものでした。
1人の男子生徒が
「なぜ突然LGBTの話をし始めたのか、
実はクラスにいるんじゃないか」といいはじめ、
男子生徒は確認のために、
担任の先生に問います。
担任は噓をつく時口元に手を当てるクセがあり、
「クラスにLGBTはいない」
という担任は口元に手を当てたため、
クラスメイトのLGBT探しがはじまります。
このクラスにはレズビアンの生徒がいました。
一ノ瀬月乃(今田美桜)に思いを寄せる
小牧桜(有佐・ありさ)です。
保健室の先生に恋の相談をしたしたところ、
良かれと保健室の先生が授業をしたのです。
ある日、月乃(今田美桜)はクラスメイトから
「私、誰がLGBTか知ってる・・・」
と話をされます。
そのクラスメイトは保健室で桜(有佐)が
先生に相談しているのをたまたま聞いてしまい、
1人で抱え込み悩んでいました。
月乃は思いを寄せられていることを知りながら、
一定の距離をとりつつ、
これまでと変わらず接するようにしたものの、
自転車で二人乗りをしているところを
後ろからハグされます。
何も言葉はありません。
しばらくして、
桜は自転車を降りてバスで帰ります。
桜はバスの中で涙します。
翌日、黒板に「小牧桜はレズビアン」
と大きく描かれた教室にざわめく教室。
「桜はレズビアンじゃないよ」と、
黒板の名前を消す月乃。
そして、教室から出ていく桜。
友人が話を聞くと、
桜は自分自身で黒板に書いたのだそう。
そしてラストシーン。
保険の先生がLGBTの授業をする前、
桜が保健室の先生に相談しています。
その姿はレズビアンであることを
深刻に悩んでいる姿ではなく
恋をする気持ちや、
相手の笑顔が大好きだということ、
喜んでくれたこと、
相手に想いを伝えたら迷惑になるか?
など、ニコニコしながら話す姿でした。
エンドロールで役者名やスタッフ名が流れる中、
月乃と桜が話している音声が聞こえます。
2人の会話を聞きながら、映画は終わります。
映画の時間は39分。
物語は7月4日の月曜日からはじまり、7月8日の金曜日に終わります。
わずか、1週間の出来事でした。
カランコエの花の考察
この映画の評価は2軸あると感じています。
一つは映画として面白い、面白くないの視点。
そして、LGBTQというテーマについて、
”あなたはどう考えるか?”
というメッセージが鑑賞者に届いたかという視点です。
面白いか面白くないかでいうと、
エンタメ的な意味では大きな評価とはならないでしょう。
リアルかと言われれば嘘っぽく感じるところもあり、
ストーリーも少々粗い気もします。
本作の評価は『LGBTQ』というテーマの切り取り方、
表現や伝え方が非常に良かったという意味で
評価されているのだと感じます。
個人的にですが、感じるところを記していきます。
カランコエのシュシュの意味
カランコエの花言葉は
『あなたを守る』。
7月4日の月曜日、
月乃は母からシュシュをもらいました。
7月6日の水曜日に、
桜から「シュシュが可愛い、似合っている」と言われます。
7月7日の木曜日の朝、
月乃は朝にシュシュを付けて登校するか迷います。
しかし、自らの意思でつけていきます。
そして7月8日の金曜日、
学校を休んだ桜の机を見ながら、
シュシュを取り、涙します。
私の考察ですが、
7月4日の朝に、
母からもらったときは「母が娘を守る」と言う意味。
7月6日の朝は「月乃が桜を守るため」
にシュシュをするのです。多分。
しかし守ることが出来なかった。
学校から去っていく桜を止められず、
翌日桜は学校を休みます。
だから最後に涙したのだと思います。
なぜ桜は黒板に自らレズビアンであると書いたのか?
保健室の先生に相談したところ、
クラス全員の前で「LGBTの授業」が繰り広げられた。
(余計なことするよな、この先生・・・)
しかし、授業ははじまり、LGBT探しがはじまった。
桜は自分で黒板にレズビアンであることを書きました。
なぜでしょうか。
『想いを月乃に伝えたかった。』
ここだけだと思います。
直接伝えられなかった、
伝えられないまま恋が終わることが
嫌だった桜はどうしようもなく、黒板に書いた。
そしてその告白(黒板)は、
月乃が「桜はレズビアンではないよ」
と言いながら消されてしまった。
だから、桜は泣きながら教室を出た
のです。きっと。
だとすると、とても優しい女の子ではないでしょうか。
保健室の先生を責めることもなく、男子生徒も非難しない。
恋した相手が振り向いてくれないことに、純粋に涙するその姿は、
『人を好きになることにLGBTなど関係ない』
と思わせるには十分な描写だと感じました。
そして非常に丁寧な、脆く優しい描写だと思います。
カランコエの花は悲劇か?
5日間の恋愛のお話と言えばロミオ&ジュリエットが有名です。
※ロミオとジュリエットは出会ってわずか5日間で死別します。
本作も夏休み前の高校2年生の5日間のお話。
悲劇なのかなと思ったのですが、
私はこの話の続きはポジティブな方向に進む
と捉えています。
理由は、クラス全体の人間性が、
受け入れる考えを持っていると示唆できるから。
月乃は、桜から可愛いと言われたシュシュを
翌日つけないでいくか迷っていますが、つけていきます。
それは愛情を受け入れるというよりは、
LGBTという考え方や、女子は男子を好きになるもの
という概念から少し変化していくような心情に見て取れました。
避難していた男子生徒(新木裕也=笠松将)も、
はじめは好奇心でLGBT探しをしていたものの、
いざ見つかると擁護する姿勢になり、
仲良し4人グループの残り2人も神妙な面持ちです。
少なくとも非難の目線や仕草には感じられません。
7月8日の金曜日の後、
7月11日の月曜日には月乃は桜に会いにいくはずです。
受け入れるには時間はかかるかもしれないが、
また一緒に学校で過ごそうと。
そんなポジティブな続きが私には見えました。
(※実際のそのシーンはありません)
カランコエの花は演出がお見事
本作は39分の比較的短い映画です。
日本映画はラストになると”説明が多くなりがち”な傾向があります。
観ている方がわかるようにという意味なのか、
鑑賞側のレベルが低いのか、
脚本や演出上とにかくよくしゃべります。
例)
「うわぁぁぁぁ!!(叫)私は…私はただ幸せになりたかっただけなの、わかってほしかったの。あの日、雨の中あなたを追いかけたのに、あなたは振り帰りもしないで、私を置いていった。私はその日に決めたの。あなたには・・・略」
ミステリー映画の種明かしのごとく、まぁよく説明して話すこと。
これまで映画を観ながら考えを巡らした時間を
返してほしいと思う映画が多いです。笑
しかし本作は余計なセリフがありません。
目線や仕草、撮影のカット、風景の切り取り方など、
総合的に「鑑賞者側が考える余白」が多く散りばめられています。
バスで涙する桜はなぜ泣いているのか?
月乃が朝、シュシュをつけるか迷った理由はなんなのか?
母はなぜカランコエの花のシュシュを娘に渡したのか?
ラスト仲良し4人組の女の子たちはどうなるのか?
示唆する情報が散りばめられているので、
考えていて楽しいですよね(私だけ?)
見事な演出だと私は感じました。
クラウドファンディングでの資金調達も話題
いま流行のクラウドファンディング。
『カランコエの花』のDVD化は
クラウドファンディングで資金調達がされたものです。
(私も応援したかった!!)
また詳しく書きたいですが、
映画を応援する意味で今後利用していきたいですね。
『カランコエの花』を無料で動画視聴する方法
カランコエの花はU-NEXTの独占配信です(2020年7月現在)
無料トライアルを利用すれば31日間無料(途中解約OK)なので、
過去に登録したことのない方は活用しましょう。
まとめ~LGBTQを考える~
LGBTQ映画のレビューの際に一貫して
『純粋に人を好きになった結果の一つ』と言っています。
私は男性ですが、男性を好きになる気持ちは正直わかりません。
でも世の中には男性だけど男性が好きになったり、
男性と戸籍上されているけど内面は女性であったり、
男性も女性も同様に愛することができたりなど様々なケースがあります。
これらを”身近に感じるきっかけ”があるかないかだと思います。
私にはゲイの友人がいるのですが、
正直それまで対岸の花火くらい遠い存在だと思っていました。
新宿2丁目(ゲイの街として比較的有名なところ)で飲んでいると、
彼が浮気をした、いびきがうるさい、時間を作ってくれない・・・
などなど男女間でも普通にあることがそこにあって、
身体のつくりや内面の違いがあれど、
根本的な人を好きになる気持ちは変わらない
のだなと感じたものです。
ちなみに会った人がLGBTQのどれに当てはまる人なんだろう?なんて、
少し親しくならないとわからないものです。
そもそも当てはめる必要もないかもしれない。
「Aさんという人間を、Bさんは好き」
これくらいの事実ベースでなんでも話が進めば楽なのにね。
劇中で女子高生が触れた「愛のカタチ」は、
間違いなく映画を通じて私たちに届いていて、
身近にそういった人が表れたその時、
偏見の目で見るのか、好奇の目で見るのか、
1人の人間として見るのか、
一人一人に問われている、
そんな気がする作品でした。
最後までご覧いただきありがとうございました!
別のレビューもぜひ観て下さいね。
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