ミギーです。
今回紹介する映画は【子宮に沈める】(しきゅうにしずめる)
実際に起こった2つの事件をベースにした社会派フィクションです。
フィクションではありますが、
極めてリアルでドキュメンタリーを見ているようでした。
とんでもない作品に出会ってしまいました。
報われない、見ていてツラい映画として呼び声高い
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』級の衝撃。
いや、越えているかもしれません。
だって、もう観たくないから。
子を持つ親として、
直視するのが辛く、
涙が止まらないのです。
悲しくて。
何度も再生を止めながら、鑑賞しました。
2人の幼児が、部屋に閉じ込められて死ぬまでが描かれた、実話を基にした作品。
不思議なことに、怒りじゃなくて悲しみが止まりません。
「シングルマザー」、「貧困」、「孤独」といった、
様々なキーワードが頭をよぎる中で、
劇中の2人の幼児を見て、
あなたは何を感じるのか?
胸に手を当てて考察することが本作の役割
なのだと感じます。
作風は好き嫌いがあるかと思います。
本作の特徴としてBGMがありません。
カメラは長回しで定点で、これがドキュメンタリ色を強めています。
映画っぽくないかと思いきや、全体的な描き方やラストシーンは映画らしい。
VODではNetflixで視聴できます。
それでは、ミギーの感想に入ります。
ネタバレありますので、ご注意ください!
ネタバレあらすじ
3歳の女の子・さち(土屋希乃)と1歳のそら(土屋瑛輝)。
由希子(伊澤恵美子)と夫の4人家族でした。
夫に由希子への愛はなく、
ある日帰宅した夫は一方的に別れを告げ、家を出ていきます。
離婚後も良き母であろうとする由希子は、
仕事、家事、育児を1人でこなそうとします。
若くして結婚したため学歴や職歴もなく、
医療資格受験の勉強をしながら長時間のパートをし、
シングルマザーとして2児を養う事になるものの、
精神的に追い詰められ、徐々に家を空けることが多くなり、
ある日部屋のすべてにガムテープを張り付け、
一切部屋から出られない様にした状態で家を出ます。
2児が密室で取り残されたまま、時間が過ぎていきます。
ほどなくして、1歳のそらが餓死します。
何日か何か月後なのか、由希子が帰宅します。
3歳のさちが「ママ、遅いよ」と駆け寄ります。
由希子はさちを抱きしめることもなく、
餓死したそらを、洗濯機に入れて洗います。
湯船に水を貯め、さちを溺死させます。
2人の死体を並べて、ビニールシートで包み、
自らの子宮に針を刺し、誰の子どもかわかりませんが堕胎させます。
そしてシャワーを浴び、裸のままベランダの向こうにある空を見つめ、
本作は幕を閉じます。
土台となる「2つの」実話
本作は『大阪2児餓死事件』
そして、
『苫小牧 幼児放置虐待死体遺棄事件』
2つの実在した事件がベース
になっています。
大阪2児餓死事件
2010年に大阪市西区のマンションで、
母親の育児放棄によって3歳女児と1歳9ヶ月男児が死体で発見された事件です。
2人は餓死で、発見されたときは死後1ヶ月ほどが経過していました。
風俗店に勤務していた下村早苗容疑者(当時23歳)を死体遺棄容疑で逮捕し、
後に殺人容疑で再逮捕。2013年3月に有期刑では最も重い、懲役30年が確定しています。
苫小牧 幼児放置虐待死体遺棄事件
2006年10月北海道苫小牧市で5歳と1歳の男の子を
1ヶ月以上自宅に置き去りにし1歳の男の子は死亡。
5歳の子は生米、生ゴミ、マヨネーズ等で命を繋ぎ、
1ヶ月以上ぶりに帰ってきた母親に「遅いよママ」と駆け寄りました。
母親の山崎愛美は、懲役15年の刑が確定しています。
ネタバレ感想・ 考察
本ブログの考えるいい映画とは、「心がどれだけ揺れるか」ということ。
そうゆう意味では、かなり大きく”揺れた”作品でした。
1児の父親であったことも原因です。
非常に悲しく、見ていて辛い。
しかし、多くの人が鑑賞するべき作品だと思いました。
母親を形成した周囲の環境
ロールキャベツをつくり、帰らない夫のご飯も欠かさずにつくる献身さ。
別れを告げる夫に、キスをして胸を触らせようとする由希子ですが、
身体で繋ぎとめようとする愛情表現となってしまうことに、
見ているこちらはもどかしさを感じます。
そして離婚後に、子供が起きているにも関わらず、
家に男を連れ込みそのまま性行為をしてしまう由希子。
さちが、口紅をしておめかしして
1歳のそらのお腹にかみつくシーンがあります。
お母さんの真似をしたのですね。
また、途中で遊びに来る友人も、
実は本当の意味で友人ではありません。
子どもの寝ている部屋に上がり込み大声で電話。
子どものいる前でタバコをふかし、由希子に風俗を勧める。
周囲の環境が由希子に影響を与えたことを示唆するには十分なシーンでした。
戦慄の、ラストシーン。
餓死したそらを洗濯機に入れ洗浄し、さちを溺死させる。
一切のセリフがなく、
淡々と進むシーンに胸が締め付けられました。
また、余計な音楽、ナレーション、セリフがないからこそ、
このシーンの”重み”がひしひし伝わります。
まるで普段、自宅に帰り、ソファに座り、テレビをつける。
そんな日常の仕草のように淡々と事が進むのです。
2人の幼児が並んだシーンは号泣です。怒りではないのです。
悲しみだけが溢れでて止まらないのです。
身勝手な父親と、孤独に追い詰められた母親に苛立ちを覚えることはありません。
ただただ、2人が死ななければならなかったことが、
この運命をたどってしまうことが悲しいのです。
本作はセリフがそこまで多くありません。
終始、ある一つの家庭で起こった日常という視点で切り取られています。
2人の密室シーンこそ、本作の要。
部屋には虫が湧き、食べるものが尽き粘土を食べ始め、
それでもママが帰ってこないか待ち続ける女の子。
包丁でパイナップルの缶詰を開けようとするシーンや、
生米を食べ、ゴミ箱を漁り、マヨネーズを飲むシーンは、
まさに苫小牧で生き残った男の子そのもの。
観ていて本当に怖かった、
何度も眉間にしわが寄りました。
子役の女の子が秀逸
劇中に出てくる兄弟は、実の兄弟でもあります。
土屋希乃ちゃんと土屋瑛輝くん。
当時3歳と1歳なのですが、土屋希乃ちゃんの演技が秀逸です。
彼女なしでこの映画の成立はあり得ません。
密室の中でも、ミルクをがんばって作ってあげたり、
乗り物であやしてあげたり、姉としての奮闘も描かれます。
だからこそ、餓死した後、そらのバースデーソングを歌うさちに強く心が痛みました。
シングルマザーの抱える社会問題
検索すれば本当に多くのシングルマザー問題があります。
仕事もしながら子どもも育てることの難しさは、やっている本人にしかわかりません。
多くのシングルマザーは4歳未満の子どもを見るのに苦労すると言われます。
自立して生活ができないからですね。
トイレや食事などの世話はとても時間と労力を使います。
子どもだけに集中できれば良いものの、家賃や光熱費、食費は容赦なく襲ってきて、
貧困となる環境が見事に整うことになります。
この映画を機に『シングルマザー 貧困』と調べて、
いくつか記事を読むだけでも、本作を観た価値が深まるのではないかと思います。
育児放棄する母親は
実際の事件では母親の行動や背景、
またそもそもなぜ産んだのかという議論にも及びますが、
本質的な議論はそこではないと思います。
育てられないのに産むべきではない。その通りです。
育児が辛ければ逃げればいい。その通りです。
でも、そうならない。
実際に事件が起こり、いまも虐待する親と、虐待される子どもがいる。
この事実(現実)をどう受け止め、考えるのか?
ということが大切なのだと思います。
世の中には、流産の決断ができない女性がいます。
決意なく、出産する女性もいます。
子どもに責任を持たない男がいます。
ゴムもつけずに勢いでする男がいます。
これは変えられません。
きっと。残念ながら。
虐待や育児放棄は一定の割合で起こり続ける問題なのだと思います。
そういった「日常」のような風景か私たちの近くで起こっている。
私が出来るのはその意識を持ち、自分が遭遇した時、何ができるか?
考え行動することなのかなと思います。
まとめ
1児の父として
例えば、隣のおうちで虐待が起きているとき、
私はその子を助けられるのだろうかと考えると、
実はかなり難しいのではないかと感じます。
一歩間違えて、赤の他人の家庭に踏み込もうなら、私が逮捕されることになります。
近所づきあいなどが希薄になり、誰も隣の家庭に興味がなくなるというのは寂しいことですね。
私は団地で育ったので、コミュニティがあることの価値をそれとなく実感しています。
予備知識ですが、本当に子供の命に危険がある場合は、
全国どこからでも24時間繋がる児童虐待相談窓口「189(いちはやく)」、
現場を見つけたような場合は警察「110(ひゃくとうばん)」に電話しましょう。
報われない、二度と見たくない映画として名高い『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は
Amazonプライムほか、VODで配信中です。
最後までご覧いただきありがとうございました!別のレビューもぜひ観て下さいね。
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